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竜王廟行宮
  発布時間: 2014-12-22   訪問量:0   視力を保護する色:  

国家AAA級観光地で、全国の重点文化財保護部門で、宿豫区の西北部の20キロメートルぐらいの古い町「皂河」に位置して、乾隆帝が何回もここに来たので、乾隆行宮とも呼ばれている。行宮が清代の康熙23年(1684年)から建設し、雍正、乾隆、嘉庆など歴代の皇帝の指示より修繕と拡張した。清代の皇帝が「竜王治水、洪水を除去」を祈るため建設した斎場で、名前は「敕建安澜竜王庙」である。総面積が36ムーで、南に向く方向で奥まで三つの庭と宮殿、あずまやなど20所以上ある。

竜王廟行宮の建築が素朴で、楼閣が互いに照り映る、また対称な構造で、軸がわかりやすい。15軒の宮殿の建物構造が入り組んでいる、壮大な勢いがある。軸に居る建物なら主要なものと副次なものがはっきりしている。南端の古い劇場は主に一年一回の廟会(旧暦の正月9日)と皇帝陛下が光臨する時に使う。まだ1.4米高さの石台を残っている。古い劇場の北が青いレンガで作った広場で、広場の両側に高さが六丈の神竿(旗竿)二つあり、その隣に「河清」、「海晏」を書いた緑門がある。広場の北側が山門で、また禅殿と呼ばれている。禅殿のドアの両側に清代中期の皇家石獅子がある。石獅子の造形が生き生きして、また材料も精緻で、江蘇省内に一つしかない。山门正面の上に、青いレンガに乾隆帝の自筆した「敕建安澜竜王庙」と「乾隆御筆印」がある。ドアの隣に相対に両明両暗の脚門があり、皇帝と官吏が進出する道路である。禅殿のドアを超えて第一の庭に入ると、中心に乾隆帝の命令で建設した御碑亭で、亭内の御碑が高さ5メートルで碑帽の正面に「聖旨」の二文字を彫刻し、碑の正面に聖旨の全文を書いている。その聖旨が康熙、雍正皇帝が廟を建設する原因と経過、また乾隆六回江南に来る時に五回個々で住んで書いた詩辞を述べている。御碑亭両側に鐘楼と鼓楼を建て、東は鐘楼、西は鼓楼である。鐘楼と鼓楼のかたち、配置、尺度などは同じで、103平方メートルの面積である。御碑亭の北は怡殿で、中軸の第一庭と第二庭の交わりで、敷地面積は66平方メートル。第二庭は全ての建築物の中心で、主体建築は「竜王殿」、また「緑の瓦殿」と呼び、その両側に東、西配殿がある。竜王廟殿は、最も特色の主要建築物の一つで、敷地面積は435平方メートル、宮殿が綺麗で輝く。正殿の中央に大禹王や東海竜王の金箔坐像を供養して、乾隆帝が五回に竜王廟で宿泊するときもここで朝政と祖先を祭ることをした。

第三の庭は竜王廟行宮の最後の庭、乾隆帝の居城である。第二、第三の庭の交わる所に霊官殿と東西庑殿があり、庑殿は僧侶たちが読書する及び仏学を研究する場所で、また皇帝が来る時に文武役人の仕事をするところと休憩する場所である。霊官殿正門の上に「福靖霊波」を書いた扁額があり、乾隆皇帝が来る時に、この宮殿を「分宮庁」と呼べ、皇帝と皇妃が入ってから、他の文武役人が立ち入り禁止である。毎年の旧暦の正月初八、初九、初十の三日間は皂河安澜竜王廟の祭りの日で、祭りに参加する人たちが一緒に竜王を参拝する。その時期に黒山の人だかり、空前の盛況で江蘇省北部地区に線香が耐えない36ヶ所の祭りのトップと言われている。

 

アドレス:宿豫区皂河镇通聖町10号

電話番号:80701308

入場料:一人30元

開放時間:夏に午前の8時から午後の5時半まで

     冬に午前の8時半から午後の5時まで

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